元信者MIKI
<1991年入信-2014年退会>
公開日2023/12/23
更新日2025/04/02
ここは神慈秀明会に関わってしまい、困っている方への応援サイトです。
ネット投稿・ブログ、私の体験と知見をもとに現時点で対処できることを紹介していきます。お役にたてれば幸いです。
ネット投稿・ブログは必ずしも事実であるとは限りません。
このサイトでは例として使っています。
似たような体験をされた方が、自分だけではなく、泣き寝入りすることはないと思って頂けることを目的にしてネット投稿・ブログを取りあげています。
神慈秀明会は健全な宗教団体ではありません。
不当勧誘・不安をあおる霊感商法・人権侵害が行われているのに本部が黙認・放置している宗教団体です。
被害者の中には破壊的カルト・金巻き上げカルトという人もいます。
信者の人格・自己決定権や財産権(家族・親族も含む)を侵害する行為が行われています。
宗教法人はすべての人の人権を尊重し、法令を遵守することで、”非課税”という特権を与えられている宗教団体です。
困惑する人、苦痛を被る人を出し続けていることを省みない神慈秀明会
に、宗教法人の解散請求をしてほしいと思っているのは私だけではないはずです。
まともな宗教団体は、縁のある人を困らせたりしません。
神慈秀明会に関わってしまい、困っている方!
泣き寝入りしないで、可能な限り証拠をとり声をあげていきましょう!
神慈秀明会に困っているのは、あなたが悪い訳ではありません。
悪いのは神慈秀明会です。
神慈秀明会は「奇跡体験」「ご守護体験」をさかんに言います。
私もこの「奇跡体験」「ご守護体験」で神様の存在と神慈秀明会を信じました。
しかし、まともでない神様も奇跡は起こせます。
奇跡を起こす神様が”善”とは限りません。
詐欺師のように信じさせてから、お金と時間を搾取する(させる)神様もいます。
私は1991年に21歳で入信し、2014年に退会しました。23年間信者でした。
退会理由は2013年に無理な信仰活動で借金地獄・家庭崩壊・精神崩壊する寸前まで追い込まれたからです。
退会してからずいぶんと経ちますが、健康で幸せです。
2022年に起きた安倍晋三元首相銃撃事件で法改正が行われました。
あってはならない事件でしたが、この事件で宗教団体の被害者に救済が必要なことが理解される大きなきっかけになりました。今までは宗教団体の悪質な行為にあっても、泣き寝入りするしかありませんでした。
まだ全ての被害者を救済する法改正ではありませんが、今までなかったことを思えば大きな一歩です。
サイト立ち上げ第1弾の内容は、神慈秀明会の悪質な入信勧誘行為が違法行為になったことと、神慈秀明会に困ったら公的機関に相談することができるようになったことを紹介します。
参照元
概要 /教義 /活動 /おひかりとお詫び /献金 /薬・医療否定 /終末思想と選民思想 /洗脳 /私が退会した事由
神慈秀明会は「浄霊」というお祈りを相手に手をかざして行う宗教団体です。
本部は滋賀県甲賀市の信楽にあります。
教祖は世界救世教創始者の岡田茂吉師です。世界救世教の多数ある分派の一つです。
「手かざし」を行う団体は数多く存在します。
神慈秀明会の特徴として
「浄霊」を行う前後に「明主様(めいしゅさま)ありがとうございます。」と3回唱えます。
相手の額と脳天に数分間、手をかざすのは、岡田茂吉師を教祖とする教団の中でも、神慈秀明会独自のものです。
岡田茂吉師が1935年(昭和10年)に立教してから、「神霊治療時代」「観音教時代」「救世教時代」と教えの内容と形態が時代とともに変遷していきました。
教祖は1955年(昭和30年)に、脳溢血の症状で突然亡くなりました。
自分は120歳まで生きられるといいながら、72歳で亡くなったのです。
亡くなる前年には自分が救世主であり全世界の主神だと言っていました。それまでは主神の代行者としていました。
その後、世界救世教は多くの分派を生み、本体も分裂しています。
神慈秀明会は、教祖が亡くなったあと変質し堕落していった世界救世教より1970年(昭和45年)に離脱独立し、教祖の本筋の信仰を歩んでいる唯一の会だとしています。
しかし、教祖のほとんどの教えは封印され、神慈秀明会が発表した教えしか読んではならないとしています。
また教祖のおしえより、教師の指導が絶対とされています。
神慈秀明会では、教祖である岡田茂吉師を最高の神様とし、「明主様(めいしゅさま)」と尊称しています。
神慈秀明会は、「あなたの健康と幸せをお祈りさせてください」と言って、「浄霊」で病気が治り、運もよくなるとして布教します。
「浄霊」で「奇跡」が起こり神様の存在がわかるとしています。
生きている苦しみは、先祖・前世からの因縁からできた罪穢れによる魂の「曇り」からきているという教えを教義に置いています。
神慈秀明会で「人の健康と幸せ」のためにお徳積みをすることで「曇り」がとれ魂が救われ、自分も幸せになるとしています。
「曇り」をとる課程で苦しむこともあるとしています。それを「浄化」といっています。
また「浄霊」で病気が治ったり、生活面や精神面で「ご守護」を頂いたら神様に「感謝報恩」をすべきであり、足りなければ「曇り」がとれず、また「浄化」し苦しむことになるとしています。
信仰活動で「魂」が「浄化」され「曇り」をとることで人びとが救われ、明主様が説く「真善美の理想世界、病貧争のない地上天国、隠し事ができない水晶世界」を実現できるとしています。
最高のお徳積みは、自分と縁のある人を神慈秀明会にお導きし入信させることだとしています。
また、新規入信者のお導き数・献金額・参拝人数等の目標(ノルマ)の達成ができる人を、神様との約束を果たす誠ある者としています。
目標達成という約束を守れない者は、信仰の落第生としています。
毎月発行される秀明紙の勉強会(秀勉)に月1回参加することが、信者に課せられる唯一の戒律としています。秀勉を受けることが命綱だとしています。受け持った信者の70%以上が秀勉を受けることをお世話する側の信者に強く求めています。
相手の気持ちや事情にかかわらず、秀勉を受けさせることが利他愛の誠としています。
基本行として、浄霊・参拝・奉仕を推進しています。
さらに教祖の教えをまとめた「聖教書」の拝読、朝夕拝、献金、浄霊実践など数々の”行”があります。
「美を求める」ことで魂が浄められるとして、「ミホミュージアム」を運営し、「秀明太鼓コンサート」等で芸術活動を推進しています。
無肥料無農薬栽培である「秀明自然農法」も推進しています。
「ミホミュージアム」「秀明太鼓コンサート」「秀明自然農法」等の対外的活動が布教活動にもなっています。
信者による積極的すぎる勧誘活動や、信者の熱意が強すぎるあまり、相手にプレッシャーを与えるケースが違法・不法行為に該当する場合があります。
信者の活動に違和感をもった方は、その時点から信者の言動の証拠をとりましょう。
「おひかり」の拝受をもって入信となります。
本部に行かないと本入信にならないといわれますが、納得がいかなくても、「おひかり」を受け取った時点で信者です。
「おひかり」の形態は教祖が在世時のように、白い絹の布袋にくるまれ、白い絹紐がついています。
この中にさらに色々なものに包まれて、教祖が生前に書いた「光」という文字をコピーした紙が折りたたまれて入っています。
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「おひかり」は教祖の分霊とされています。
この「光」の文字より、教祖からの”光”が放射され、首にかけて「浄霊」をすると、本人の手を通して相手に伝わり、双方がきよまるとしています。
本来は、2回の教修を受けて「自分も浄霊したい」と思い、入信献金3万円を"自ら"用意して納めた人が、「おひかり」を拝受できる条件になっています。
この条件はほとんど守られてはいないようです。
このため納得がいかないままに入信させられた人の中には、「おひかり」をすぐに捨てる人もいます。
入信さえさせてしまえば、教祖の分霊である「おひかり」は捨てられてもかまわないようです。
納得がいかないまま「おひかり」を受け取った方は、入信を取り消し入信献金を取り戻せる可能性があります。信者の言動を手書きのメモなどで記録を残しておきましょう。
拝受後に「おひかり」のお取り扱いの注意事項の説明があります。
このお取り扱いの注意事項が、非常にめんどくさいものです。
話しを素直に受け取ってしまう人は、ここから洗脳が始まります。
お取り扱いに粗相があった場合や、布袋を交換するときに中に”毛”が入っていると、「お詫び」になります。
(布袋の中にプラスチックの板と袋があり静電気などで毛が入ってしまうことは不思議ではなく、想念に関係なく不可抗力でもあります)
「お詫び」をしないと、「おひかり」の効力がなくなるとしています。
「お詫び」のためのお金をだし、今後の信仰向上のための取り組みを上の役付き信者と決めて「お詫び」の儀礼をすることで、効力が戻るとされています。
この「おひかり」のお取り扱い、「お詫び」になる基準の厳しさも教祖の教えにはなく神慈秀明会独自のものです。
岡田茂吉師を教祖とする団体のほとんどが、今はペンダントになっていて、お取り扱いも厳しくはありません。
神慈秀明会では、このことが教祖の本筋の信仰のあかしとしていますが、この厳しさは教祖の教えとも矛盾しています。
そのため「お詫び」の説明や仕方、ださせる金額は、役付き信者によりバラバラです。そこはなんでもいいようです。
私は、「お詫び」は先祖からの「お気づけ」で、信仰向上を求めていると教わりました。基本行やその他の行からできていないことを自分で考え、その中からできそうなことを選び、上の役付き信者とそれでいいか相談し、自分でその取り組みを行うことを明主様と約束することを納得したうえで、千円のお玉串をお供えして「お詫び」をしていました。金額はその時の精一杯の気持ちでと教わりました。
「お詫びのお約束」の実行ができないと、また「お詫び」になるという恐怖心と、約束したからには実行をしないといけないという義務感で信仰をしていました。
ただ、恐怖心と義務感で信仰をしてはいけないとも教わっていました。
そして、私は「お詫び」のたびに、その取り組みをすることで体験した「奇跡体験」「ご守護体験」から、どんどんはまり込んでいきました。
ネット投稿をみると、本人の意思を無視した無理な「お詫びのお約束」をさせる役付き信者がけっこういます。
「お詫び」がきっかけで、「おひかり」を捨てて退会をする人もいます。
教祖の分霊である「おひかり」の拝受のあり方もお詫びのあり方も、教祖の教えを冒涜し、粗末に扱われても仕方がないことがずっと行われていることに驚きました。
それなのに、そのことに対する役付き信者への「お気づき」はないようで、神慈秀明会には今も昔も奇跡が起きています。
神慈秀明会で起きる奇跡は、信者の呪縛にもなります。
「お詫び」で恐怖信仰に陥ってしまう信者も多いようです。
恐怖信仰をいさめるどころか、「お詫び」で恐怖をあおっている役付き信者も多いようです。
ちなみに神慈秀明会の聖教書の中に、「世の中は不思議なもので、恐怖信仰というのがある。それは神仏を畏怖し、戒律に縛られ、窮屈極まる日を送り、自由などは全く無く、常に戦々兢々たる有様で、こういう状態を私は信仰地獄というのである。」(「信仰の醍醐味」より)があります。
「おひかりとお詫び」で心を縛り、神様との約束を守らせることが「神慈秀明会の明主様信仰」です。
神慈秀明会では教祖言とは異なる指導に疑問をもつことは、「頭の信仰」とされ、教師の指導には素直に従うことが「我を去る」ことだとしています。
違和感のある「お詫び」をさせられている方は役付き信者の言動の証拠をとりましょう。
役付き信者が、本人の意思を尊重しないことは人権侵害であり、本人の意思に反して従わせることは不当行為です。
地上天国のひな形である、みその(信楽の本部)、ミホミュージアム、各センターの建設・維持のための献金をすることが、感謝報恩の誠・信仰のあかしとしています。
精一杯の献金をすることで、先祖が喜び因縁からできた罪穢れによる「魂の曇り」がとれるとしています。
借金してまでも献金をする信仰としています。
(注:献金をするために借金をさせることは20023年4月1日より不当寄附勧誘防止法で違法行為になりました)
相手の気持ちや事情にかかわらず、献金を勧めることを利他愛の誠としています。
役付き信者には献金額の目標達成を守る事が、神様との約束を守る事とされ絶対とされています。事実上の強要です。
責任者の指導のもとで役付き信者が一般信者に強引な高額献金の勧誘を行っています。借金もさせています。
”ウソをつかせてでも”信者の親族からお金をひきださせることも行われています。
不安をあおってまでの献金も行われています。
(注:献金をしないと先祖が救われず不幸になるなどと不安にさせてまで献金をさせることは2019年6月15日より消費者契約法で違法行為になりました)
しかし、対外的にはあくまでもすべての献金は信者の信仰からくる自由意志で行われているとしています。
ちなみに神慈秀明会では「読むと邪神にやられる」とされて信者に隠している教祖の教えの中に、「基金を集める場合無理をする、例えば信徒または末寺に対し一定の額を定め強要する事があるが、これは自然ではない、信仰的献金としては本人の自由意志によって任意の額を決めるのが本当である」(「悪銭身に着かず」より)があります。
神慈秀明会は元信者から裁判を起こされ最高裁で敗訴するほどの「社会的に相当な範囲を超えた」献金の強要をしていたにも関わらず、 「強制的に献金させたことはなく、信者の自由意思だった」として賠償に応じても、神慈秀明会のやり方は誤っていたと認める謝罪はしていません。
<信者は知らないネットでの裁判情報>
地上天国のひな形である、みその(信楽の本部)、ミホミュージアムの建設の献金のために、神慈秀明会の被害者は長年にわたり、経済的破綻を強いられ、学業や仕事を奪われ、家庭を崩壊させられるなど、苦しめられました。
多くの被害者の犠牲の上で造られた教祖殿やミホミュージアムの建築は絶賛されています。
その建築費用がどのようにして集められたのかはスルーされています。
そしてネットで被害を訴える人は今も絶えません。
しかし神慈秀明会と交流のある団体・人物は、一部の投稿や記事が活動内容を過剰に強調したり、事実と異なる情報を拡散しているとして擁護しています。
信者や家族がどれだけの被害を訴えても、交流のある団体・人物が擁護をしないで関わりを絶つぐらいの苦言をすることでしか、神慈秀明会は非を認め改めはしないでしょう。
今では信者による積極的すぎる(入信・桃の実等の)献金勧誘や信者の熱意が強すぎるあまり、相手にプレッシャーを与えるケースが違法・不法行為に該当する場合があります。
違和感のある(入信・桃の実等の)献金を勧められている方は信者の言動の証拠をとりましょう。
納得のいかない(入信・桃の実等の)献金をさせられた方は、お金を取り戻せる可能性があります。
薬・医療を否定しています。ワクチンも否定しています。(注:信者によりかなり温度差があります)
毒である薬を身体に入れると魂に「曇り」をつくることになるとしています。薬を使う医療は誤りとしています。
「浄霊」の効果は100%としています。
「浄霊」で癌が治ったという体験談を信じて、信者には若くして癌で亡くなっている人もいます。
幼い子どもがいるのにも関わらず、教祖の教えに従い医薬を拒み、早期からの標準治療を拒んでいました。
医師の治療を受けていれば治ったか、少なくとも寿命を延ばすことができたはずです。
それに対して神慈秀明会は、亡くなっても信仰で魂が救われたことにしています。
「浄霊」で病気が治るか、亡くなるかは「神様がお決めに」なることで、亡くなり「浄霊」が効かなかったと遺族が不満を持つことは「悪魔」に通じることとしています。
ちなみに神慈秀明会では「読むと邪神にやられる」とされて信者に隠している教祖の教えの中に、「本教信徒の中に、浄霊の場合、医師にかかること、薬をのむこと、注射をすること等について、否定するごとき言葉ありやにて、本教の主旨を履(は)き違え、社会の誤解を受くることは、本教を傷つける結果となることはもちろんで、この点充分注意され、決して医療を否定するごとき事無きよう、ここに重ねて戒意を促(うなが)す次第である。」(「信徒諸士に告ぐ!」より)があります。
「浄霊」で病気を治すか、「医療」で治すかの決定権は、信者であっても本人にあります。その決定権を奪うことは人権侵害です。
意にそわず「医療」で治すことを否定されている方は、否定する信者の言動の証拠をとりましょう。
また、「医療拒否」を強要されている信者の方が身近にいて、違和感をもった方は強要する信者の言動の証拠をとりましょう。
信者である親や介護者が、子どもや要介護者に対し医師から治療の必要性を説明されているのにも関わらず合理的理由なく同意しない場合には医療ネグレクトに該当する可能性があります。 信仰虐待が疑われます。
教祖である岡田茂吉師(明主様)の教えの根幹は、終末思想と選民思想です。
地上天国に役立つ者かどうかの魂の善悪の立て分け「最後の審判・この世の大峠」がもうそこまできていると説いています。
これは終末思想で、恐怖をあおる教えです。
そして魂の善悪を判断するのは神様であって、人間には魂の善悪などわからないとしています。
これは選民思想で、分断と差別をあおる教えです。
岡田茂吉師の教えには、いまでは問題発言とされるものがあります。
世界救世教やほかの分派ではそのことに対して留意する注意喚起もしているようですが、神慈秀明会ではそのようなことはしていません。
また、恐怖心からくる無理な信仰をいさめる教えもあります。
しかし、神慈秀明会では、教師の指導のあり方と教えが違うと言えば「頭の信仰・頭の理解」として否定され、教師の指導が「明主様のいうこと」で絶対とされ素直に従うこととされています。
神慈秀明会では読むことを禁止されている教祖の教えの中には、今でいうカルト信仰に陥ることを戒めるものも結構あります。
カルト信仰に陥ってはいないけれども堕落した世界救世教より命がけの離脱をした会主である小山美秀子の明主様信仰が、教祖の教えより絶対とされるため、「小山教」とも外部では批判されています。
神慈秀明会の熱心な信者は教えとの矛盾を気にしません。なぜなら、超奇跡が離脱をしてから起きているためです。このことは、神慈秀明会が世界救世教から離脱したことが、明主様の神意だったことのあかしとされています。
神慈秀明会では、教師が信者から問題のある行為を追及された場合、「人間の考えで善悪は決められるものではない」という教祖の教えを引用し、「訳がある」という言葉でごまかします。そして「奇跡が起きているのだからいいじゃない」という言葉で黙らせます。
ところが外部から信者のいきすぎた行為の問題を問われると「信者の自由意志で行われた」「奇跡をことさら強調しているわけではない」と裁判などでは説明しています。
「奇跡体験」や「体験談」から明主様を信じるがゆえに思考が停止し依存し、「恐怖、分断と差別」が信者に浸透していきます。
さらに「最後の審判」がそこまできていると、恐怖をあおっています。
「奇跡体験」や「体験談」から明主様を信じ、「恐怖、分断と差別」により信者は洗脳されていきます。
洗脳がとけるかどうかは、本人が神慈秀明会の矛盾に気付き疑問をもつかどうかです。
罪穢れによる「魂の曇り」が多いと、前古未曾有の人災(戦争)・天災(大災害)等の災厄による「世界的大清算」を乗り越えられず、魂は永遠に滅びの方へまわると教祖は説いています。
「将来役立つものはもちろん残されると共に、役立たないものは処理されてしまうのは致し方ない」「人間ことごとくは、裁きの前の動物に等しき運命に置かれている」(「最後の審判とは何か
」より)という、今では問題となる表現をしています。
「神のみ手に縋って罪を赦された人間は救われる」としています。
明主様に唯一選ばれた神慈秀明会の「おひかり」をもつ人は神様から「救われる側」に許されたのだとしています。
そして神様中心(信仰中心)の生活をすることで、「魂の曇り」がとれ、神様から愛され救われるとしています。
神慈秀明会の浄霊を嫌ったり、話に耳を傾けなかったり、逆にとったりする人は、すでに「救われない側」に運命づけられた者で、手放した方がいいとしています。
しかし信者であっても神様の試験にパスしたわずかな者しか救われないとしています。
また、神慈秀明会の信仰を離れることも、神様に見放され救われない側にまわることだとしています。
神慈秀明会に不平不満をもったり、批判をすること、また退会者や批判サイトに触れることも、「悪魔に通じる」「邪神にやられる」としています。
神様に許されず救われない側にまわった人間は、神に滅ぼされても致し方ないとしています。
災害等で不慮に亡くなった人は「いい人にみえても曇りが多く神に許されなかった」としています。
こうして洗脳された信者には自分は「救われる側」にいるという「優越感」が生まれ、「救われない側」にまわった者たちへの「差別」感情が生まれ冷酷になります。また「救われない側」に自分がまわることへの「恐怖心」も生まれます。
阪神大震災で46人の信者が亡くなっていたそうですが公表はなく会は追悼の意を表してはいません。亡くなった信者の方々に会としての慰霊も行っていません。
神慈秀明会の阪神大震災での被災者へ冷酷な対応が内外で批判され、その後の大震災の犠牲者に対して対外的には哀悼の意を表すようになりました。被災地でボランティア活動もするようになりました。
しかし、「浄化したのは曇りが多い人」「神様に許されなかった者」に対する神慈秀明会の差別意識はいまも変わってはいません。
信仰に理解のない人はもとより、信仰活動をしていても病気や事故等で亡くなってしまった人や、信仰活動により窮地に追い込まれ自殺した人に対してのまわりの信者らの冷淡な対応が度々ネット投稿にあげられています。
また、熱心な信者が神様中心の生活を優先することで、家庭不和はもとより家庭崩壊に至った投稿も、よくあげられています。
それでも熱心な信者は自分は「救われる側」だと信じているため気にしません。
「救われる側」に人びとを導くことで「曇り」がとれ、利他愛でもあり自分に与えられた使命だと信じ、まわりの人びとを困らせ苦しめていきます。
中には、批判を迫害と受け取る信者もいます。
洗脳がとけるかどうかは、本人が神慈秀明会の矛盾に気付き疑問をもつかどうかです。
しかし洗脳がとけ、神慈秀明会がカルトだとわかっていても、それぞれの事情で辞めない人、辞められない人もいます。
私はモヤモヤすることがあっても、自分自身が追いつめられるまでは、おかしいことに向き合わずにいました。「目標達成」を目指すことで人としての良心がなくなっていくことに気付いていませんでした。
自分が痛い目にあうまで、人の痛みがわからない人間でした。
2013年に世話人だった私が複数箇所を骨折し長期入院を余儀なくされた時、教師から「不平不満を言っていたから神様からご用をとりあげられた人」という烙印を押されました。まわりの活動信者らを介して人格否定もされました。
死んでいたら、「不平不満を言っていたから神様から”命”をとりあげられた人」と扱われていたかと思うとゾッとしました。
浄化した者に対する信者らの冷たい態度とは対照的に未信者さんたちの心から心配してくれる優しさが身にしみました。
当時の私は教師の指導による無理な信仰活動で借金地獄・家庭崩壊・精神崩壊する寸前まで追い込まれていました。
教師に窮状を訴えても「教師の指導に従えないなら信仰を辞めたら」と言われ、明主様と神慈秀明会を信じていた私は教師に服従するしかありませんでした。
しかし、心がともなわず壊れかかっていました。
長期入院は窮状を脱却するためのご守護だと私は思いましたが、世話人は教師の言葉が絶対です。
私の心など関係ないのです。
世話人になり「奇跡体験」「ご守護体験」の感謝報恩は、明主様から許された教師に素直に従うことだと洗脳され、自己決定権のない奴隷にされていたんだと気づきました。
この時私には、医者から切除した方がいいと言われていた腫瘍がありましたが、この教師から「手術なんてとんでもない」と言われていました。
退院後、切除手術をしました。摘出した細胞を調べた結果、医者から「これ以上手術を延していたら転移するところだった」と言われました。
教師の指導に従わなくなることは、神慈秀明会では明主様から見放されることでした。でも、悪質な教師を愛する神様から見放されてよかったです。
青年のとき、私は当時の教師から「本人の覚悟もないのに医療を拒否させてはいけない」と教わっていました。
まったく違う指導方針にこの教師に疑問をもちました。
「私がいうことは明主様がいうこと」とこの教師にいわれ、神慈秀明会では禁じられている明主様の教えをネットで読みたくなりました。
そして、みると「邪神にやられる」といわれていたアンチサイトをみました。
その頃は、元信者たちによる内部暴露サイトがたくさんありました。
神慈秀明会のおぞましい実態に驚くとともにこの教師だけの問題ではないと納得しました。
私が青年のときに指導をしてくれた教師が2004年頃「本部はダメだ」と私にいっていました。そして突然退会していました。理由は知らされていませんでしたが、暴露サイト「神慈秀明会観察日記 アカツキ」に詳細がのっていました。そこには、
岡田茂吉全集や天国の礎(世界救世教の教典)をまじめに読んだ教師たちが、秀明会の今までの間違った体質にきがついて、秀明会を少しでも、明主様の教えに近づけたいと内部改革をしようとした。
しかし若い教師は全員、古参幹部たちに従うことをかたく決意していて、明主様のみ教えを無視することの合意が形成されていた。
彼が古参幹部たちとその取り巻きの教師たちの反発にあい、弘子会長に引導をわたされ、会を去ったとありました。
また、私同様に奴隷扱いされている方々がいました。
それでも、奇跡体験があるがゆえに明主様を信じて、ボロボロになるまで追いつめられていました。
本部奉仕者の間でいじめがあることは知られていましたが、失明をした教師が本部でいじめを受けていたこともショックでした。
数々の内部暴露サイトでわかったのは、神慈秀明会本部と幹部は健全ではないということでした。
そして明主様と会長の小山弘子(会主の娘)が守ったのは、強引な入信勧誘と信者に無理な活動・借金させてまでの献金を行わせることで有名だった古参幹部とその取り巻き連中だったということでした。
地上天国建設のために選ばれたのは、み教えを無視し人を追いつめるほうでした。人のお金と時間を搾取する能力があるほうでした。
人の幸せのためではなく小山家に忠誠を尽くすほうでした。その上で神慈秀明会に奇跡が起きていました。
神慈秀明会の実態(闇)を知り家族で退会しました。
借金も返せるようになりました。子どもからは「一番つらい時に何もしてくれなかった。お前は俺の心の殺人者だ」と言われたこともありましたが、今は憎しみをぶつけられることもなくなり、日々の安心した生活に心身ともに健康で幸せです。
残酷非道な神様から見放されてよかったです。
岡田茂吉に生きていくことを取捨選別されるのは、大きなお世話です。
参照元
私が退会を決意した「失明した資格者のサイト」は、現在はデッドサイトになっていますが、その資格者の夫の供述を息子さんが代行して投稿した一連のものがあります。
ワード検索で「離脱関係者」と入力してください。
家族を新興宗教から守ろう Anti_cult掲示板[4583] -[4595]
(スクショ版)
>大なり小なり、奇跡を体験してしまった人を救うのは、困難を極めます。でも私は、そんな人こそ救いたいと思うのです。
>私達夫婦から始まって、入信した方は、1万人を超えておりましたので、なんという罪を犯したのかと愕然となりました。
>私は、信者さんの最期を、親しい信者さん達が亡くなる度に見てきました。信者の最期は「本当に力のある、正しい神」の信者、「絶対の救い主」の信者にしては、お粗末な結末が多すぎるのです。葬式すら出来ない人、花もなく、祭壇もなく、ただ棺が家においてあるだけの、縁ある信者さんの最期を見る度に、「毛筋一本くるいがない」、「一厘の狂いもない」にしては、お粗末だと思えるのです。
>生きてる内に、信慈醜名会からの呪縛を逃れられた事、岡田茂吉からの呪縛も逃れられた事、非常に有り難く思っています。
「離脱関係者」様と資格者の奥様の体験と想いの発信のおかげで私も、岡田茂吉と神慈秀明会の呪縛から逃れることができ、秀明地獄から家族とともに脱出することができました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
神慈秀明会はオウム真理教に解散命令が出されてカルトに対して世間の目が厳しくなる1996年頃まで、強引な入信勧誘と信者に無理な活動・借金させてまでの献金を行わせ家庭崩壊を招き、破壊的カルトとして問題視されたことのある団体です。
現在は穏やかになったと言われていますが、組織風土は変わってはいません。
今も被害者を出し続けています。
今年、解散命令がだされた宗教法人世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と同様に「改善を期待するのは困難」な宗教団体です。
加害者にも被害者にもならないために、神慈秀明会の悪質性を知っていただきたいです。
1997年に滋賀県の本部の近隣に、ミホミュージアムを開館するにあたって、それまでの活動が問題となりました。
借金してまでの献金を信者にすすめていることが1996年に、ミホミュージアムの初代館長予定だった大物著名人である梅原猛氏の耳に入りました。
梅原猛氏は「借金をすすめる宗教は邪教」と怒り、館長は辞退させて頂くと言われました。
詳しい経緯は小山弘子会長が、1996年12月23日の御降誕祭(教祖の誕生日)で発表し泣かれました。
「涙の講話」と言われています。私も教祖殿で直接聞きました。
実は会長自身が、1996年1月1日発行の秀明紙(機関誌)で
「現在までの神慈秀明会の布教のあり方」について、
「今までは年頭に年間目標をあげ、目標を達成しようと必死になって」きたが、
「どのようなあり方でそれが成立しているのか疑問」、
「強引な浄霊活動をしている」
「多額の借金をして献金させられた」
「学生が学校に行かないで宗教に走っている」というようなクレームが
「本部・総務・広報へと訴えが頻繁になって」きており、
「数を追うことが主体となってきて、信仰的なお世話が出来ていないのでこういうことが起きてきている」と
活動のあり方の非を認め、軌道修正を求めていました。
しかし、目標達成を求めることはそのままでした。
そんな中で、梅原猛氏に「信者に借金させてまでの献金をすすめていた」ことがバレたのです。
1996年の御降誕祭での「涙の講話」の内容は、翌月の秀明紙には掲載されませんでした。
幹部から会長に対して「一年を振り返って果たして徹底できたかどうか反省してみろとそうではなかった。その結果がご降誕祭での会長先生に申し訳ないご発表にまで及んだ」という、幹部から会長への謝罪文が掲載されるというものでした。
どうしても梅原猛氏に初代館長をして欲しかった会長は、それまでの献金額や新規入信者数の目標を決めて達成を目指す活動をやめさせました。
借金させてまでの献金を行わせることで有名だった古参幹部が、梅原猛氏には土下座までして謝罪したそうです。
「約束の厳守」という信者に課せられていた達成困難な過大ノルマの目標達成をすることが信仰の証しともなっていました。
梅原猛氏に初代館長を承諾してもらうため、いったん全てのノルマを撤廃し役付き信者になるための勉強会も廃止しました。
強引な浄霊活動をしているとしてクレームのあった戸別訪問や公園や駅前などで、見知らぬ人に声をかけてお祈りすることも禁止されました。
そのことを受けて梅原猛氏は、1997年11月にグランドオープンしたミホミュージアムの初代館長に就きました。
これが1990年代によくみかけた路上や駅前で「あなたの健康と幸せをお祈りさせてください」という声かけ活動がなくなった理由です。
目標達成を目指すそれまでの体制を旧体制、その後の体制を新体制といっています。
新体制では、問題になった強引な入信勧誘と信者に無理な活動・献金を勧めることをやめて、”数を追う”のではなく社会に貢献することと、信者一人ひとりを大切にするという方針に変わったことになっています。
「入信する際には、本人の意思の確認と家族の同意を得るように」との通達が本部よりだされました。
しかし、借金を強要されて献金をした信者達に対しては、神慈秀明会は謝罪も賠償もしていません。
旧体制の反省は一切行われず、神様の経綸だったといつのまにか信者の間で正当化されていました。
手のひら返しの方針転換や、反省がないことに納得が行かない信者は去りましたが、退会者は「邪神にやられた」ことにされていました。
新体制にしたのは信者のためではなく、ミホミュージアムの母体である神慈秀明会が社会に受け入れられるためのものでした。
本質は人権意識の欠落した封建的な宗教団体のままで、破壊的カルトとして問題視されたことのある旧体制と変わってはいません。
徐々に役付き信者になるための勉強会を復活し、勉強会や所属単位に新規入信者数の目標(ノルマ)をたて、その達成を内々で目指すようになりました。
私が所属していた支部では、2012年頃から新規入信者数の年間目標(ノルマ)が復活しても入信する際の新体制指針を示した通達の再確認は行われませんでした。
2014年には、私の担当教師がグループの世話人に、家族の同意を得ない強引な入信勧誘を指導していました。
またこの教師は、本人の意思を無視しただまし討ちの入信のさせ方も世話人に指導し行わせていました。入信をする気がなかった一般信者の息子(社会人)は帰宅後、「おひかり」を捨てていました。それでもグループの新規入信者数にカウントされていました。
2012年に竣工した支部建設献金をすすめるにあたって、「相手の気持ちは考えない、相手の事情は考えない」ようにこの教師はグループの世話人会で指導していました。
数名の世話人に桃の実献金(100万円)を借金して行うように指導し決意させていました。
私は退会後、本部にこの教師の指導が適切か質問状を出しましたが、返答はありませんでした。
この教師はその後新集会所の所属長として異例の昇進をしています。
本部は新体制の方針とは違っていても目標達成のためなら手段を選ばない教師を認めています。
教師自らが無視する本部の通達に意味はありません。
本部はあてになりません。正直者が馬鹿を見る宗教団体です。
「お導き数」「献金額」の目標達成を求められている信者は教師(助教師・世話人)の指導の言動の証拠をとりましょう。
安倍氏銃撃事件を受けて不当寄付勧誘防止法と改正した消費者契約法が施行された今は、教師の指導通りに勧誘(お導き)や献金の推進を行うと訴えられる可能性があります。
証拠がなければ、訴えられたら教師も本部も「そんな指導はしていない」としらを切るでしょう。
旧体制の時に本部にはクレームがきていましたが、元信者に訴えられた裁判では「いわれのないクレーム」と主張し、クレーム内容さえもなかったことにしていました。
神慈秀明会被害ネットワークHP(2003年版)秀明会の言い分(調停)
>神慈秀明会の機関誌である「秀明」(平成8年1月1日8校)において、申立人らが引用する文言の記載があることは認めるが、その余は否認する。
>「強引な浄霊活動をしていると、多額の借金をして献金をさせられたと、学生が学校に行かないで宗教に芭氏っていると、」このような謂われのないクレームが多くなっています。
>その原因の一つとしては、「オウムの事件以降、世間の目はあらゆる宗教に対して今まで以上に反感を持って見詰めてきて」いるということがあげられます。
このように神慈秀明会は旧体制の行きすぎた活動を反省をしているどころか、矮小化・なかったことにしようとしています。
そして「神様中心」「曇りをとる」「我を去れ」という教義のもとで、信者の人格・自己決定権や財産権(家族・親族も含む)を侵害する行為が新体制後も行われています。
2022年に小山弘子会長の死去にともない、小山玉男(会主の孫)が三代目会長になりました。
小山玉男会長は鮮明に、新規入信者数の所属の年間目標の達成を目指す方針を打ち出したようです。
最近では、”しつこい勧誘”をされたというネット投稿も増えてきました。
「健康と幸せのお祈り」「観音様のお祈り」をさせてくださいと見知らぬ人から戸別訪問や街頭などで声をかけられたというネット投稿も増えてきました。
「神慈秀明会」と名乗らない悪質な声がけも増えています。
名乗らないということは、名乗れない団体だと自覚しているからです。
信者の借金についてのネット投稿も増えています。
信者が目標(ノルマ)の達成を求める行為は「偽・悪・醜」であって、「心の美」、「行動の美」即ち「美を求める心」という神慈秀明会の理念とはほど遠いものです。
神慈秀明会のあり方、”神様との約束を守る=目標達成を目指す=数を追うことが主体=個人の意思と事情に配慮しない活動”で苦しむ人々を、明主様は見捨ててきました。
信仰虐待、医療ネグレクト、心理的脅迫等、神慈秀明会の信仰2世問題も長年にわたり深刻です。
親を憎む信仰2世のネット投稿も多いです。
新体制で私も信仰活動(ご用)のために教師から育児放棄を強要され、「一番辛い時に何もしてくれなかった。お前は俺の心の殺人者だ」と子どもから憎まれました。
神慈秀明会の今の発展は、これまでの被害者の苦しみを踏みにじり、なかったことにして成り立っています。
教祖の教え通りなら、どれだけの恨みの想念がみその(信楽の本部)、ミホミュージアム、各センターを取り巻いていることか。
被害者の苦しみの上に成り立つ「地上天国」など、実現してほしくはないです。
明主様は多くの被害者の苦しみを何もかも知りながら、悔い改めない神慈秀明会の発展を許しています。自身の教えと矛盾しています。
残酷非道な神様です。
こんな明主様から愛される者たちに人生を振り回されることは馬鹿馬鹿しいことです。
また神慈秀明会でお徳積みをして「魂の曇り(罪穢れ)」をとっているつもりが、恨まれて「魂の曇り(罪穢れ)」をつくることになります。
神慈秀明会で起きる「奇跡」「ご守護」は一時的なもので、お金と時間を搾取するためのエサです。釣られないようにしましょう。
「奇跡」「ご守護」の感謝報恩のために、自己犠牲を強要してきます。
神様を求めている人、断れない人、生真面目な人、義理堅い人ほど追いつめられていく信仰です。
無理な感謝報恩・お徳積みを喜ぶ神様はまともではありません。先祖も同様です。
梅原猛氏には非を認め体制を変えたのに、過去の行いを反省しようともせず、新体制後に元信者から起こされた裁判で争い、最高裁判決で敗訴しても非を認めず、謝罪しなかった神慈秀明会に自浄能力はありません。
神慈秀明会では教祖の教えより教師の指導を絶対としています。
信者の人権を尊重しない教師の指導を、新体制後も黙認・放置している神慈秀明会は、宗教法人として使用者責任を問われるべきです。
表向きの体裁だけを重視し、内向けには目標達成の圧力をかけ、悪質な行為を黙認・放置する無責任な神慈秀明会との関わりを、公的機関に相談・通報することで遮断しましょう!
安倍氏銃撃事件を受けて行われた法改正で神慈秀明会でも行われていた悪質な入信・献金勧誘行為が違法行為になりました。
今までは強引な勧誘に心ならずも入信・献金してしまうと、泣き寝入りするしかありませんでした。この法改正で該当すれば入信・献金の取消ができるようになりました。
神慈秀明会の入信に際し、教団施設で入信願書に署名指印し、入信献金3万円を納めます。
入信セットの購入費として約1万円も納めます。
また、入信をする前に2回の教修を、日を分けて受け、それぞれ「お玉串」として千円を納めています。
「おひかり」の拝受をもって入信となります。
3回目の教修を本部で受けて本入信と言われますが、本部に行ったかどうかは関係ありません。
本来は、2回の教修を受けて「自分も浄霊したい」と思い、入信献金を自ら用意して納めた人が、「おひかり」を拝受できる条件になっています。しかし、そうではない「おひかり拝受」が今も昔も横行しています。
入信に至るまでの経緯が納得できるものならば、「入信を取り消したい」「お金を取り戻したい」とはそもそも思いません。その経緯によっては、入信を取消し、お金を取り戻すことができるようになりました。
入信後の献金も、違法・不法行為ですすめられて行った場合は、お金を取り戻せる可能性があります。
違法になった不当寄付勧誘行為の事例に該当する神慈秀明会の悪質な入信・献金勧誘とネット投稿を事例別に紹介します。
不当な入信・献金勧誘信仰の自由として布教活動の自由は認められています。
しかし、本人の意思を尊重しない悪質な勧誘行為は宗教活動を逸脱し公序良俗に反します。社会的に相当な範囲を逸脱しています。
日本国憲法第19条で保証されている思想及び良心の自由を侵害しています。日本国憲法(条文抜粋)文部科学省
個人の幸福を追求する基本的人権である「自己決定権」を侵害しています。
神慈秀明会は、信者の悪質な勧誘行為を黙認し放置する無責任な宗教法人です。
悪質でしつこい勧誘行為をする信者も無責任な人です。関係がこわれることを気にしていたら、人生を壊されます。
2022年に起きた安倍晋三元首相銃撃事件で、今まで宗教のことで悩んでも誰にも相談できずに困っていた方が結構大勢いることも問題になりました。
国によって、宗教勧誘や、霊感商法・宗教問題に関する悩み事について適切な相談窓口を案内する霊感商法等対応ダイヤル(法テラス)が設置されました。
神慈秀明会の人に、勧誘、献金や退会などの疑問を相談することはお勧めできません。
神慈秀明会に困ったら公的機関に相談しましょう。
神慈秀明会の信者は親切で面倒見のいい人が多いです。しかし、それで信用して相談してはいけません。
本人の意思を尊重しないで、本人の事情に関わらず神慈秀明会のことをさせることが実際の指導方針になっています。
本人のためを思って言っているような親切な言葉に惑わされてしまいます。
また、見下した相手には恫喝し従わせようとします。
その中には違法・不法行為にあたることもあります。
神慈秀明会に困った時、違和感や疑念・不信感を抱いた時点で、可能な限り証拠をとり霊感商法等対応ダイヤル(法テラス)を通じて公的機関に相談・通報することが望ましいです。
ネット投稿、私の体験・知見等を元にした神慈秀明会に困った時の対応策を紹介します。
神慈秀明会でありえる問題は、家庭崩壊・医療拒否など多岐にわたります。
深刻なものから困惑・迷惑事例までを含めると、非常にたくさんのネット投稿がずっと寄せられています。
ネット投稿、私の体験・知見等を元にした神慈秀明会でありえる事例を問題別に紹介します。似たような体験や思いをされた方は、公的機関である霊感商法等対応ダイヤル(法テラス)に相談・通報してみましょう。
参考・引用元 投稿サイト・ブログ一覧