秀明のウソ・いつわりシリーズ

情報源
一覧

公開日2026/02/04
更新日2026/03/01

秀明のウソ・いつわりシリーズ
起こされた裁判事例


 神慈秀明会が信者に隠蔽している、元信者たちから起こされた裁判について紹介します。

東京支部元助教師(桃の実献金発案者)≪教祖殿・神苑・支部建設献金≫

 神慈秀明会に対する不当利得返還請求訴訟が昭和61年(1986年)に提起されました。
 請求が認められなかった原告(元東京支部助教師・元都庁職員)からの投稿です。
 神慈秀明会被害ネットワークHP>過去の裁判情報>原告からの投稿1

1986年提起 東京支部元助教師(桃の実献金発案者)の証言≪教祖殿・神苑・支部建設献金≫

 私は、昭和49年(1974年)10月20日東京支部で入信し、その後8年余りにわたり、車輌長、東京支部男子部副責任者、世話人、献金推進委員、助教師等を務め、その間、東京信徒大会実行委員長の大任を全うするなど、精一杯の活動をしたのですが、
自らも日夜を問わぬ宗教活動や献金その他の金員拠出を厳しく強要される立場にあり、
結局、昭和57年末頃には2,000万円にも上る借金を抱えてしまい、
どう足掻いても莫大な額のガソリン代や交通費等のかかる宗教活動も、
教団から次々に強制される金員拠出の続行も無理という状態に追い込まれました。

 言わば、教団にとっては何の役にも立たない信者になってしまったわけです。

 そして、昭和58年1月に至り事実上の除名処分を受けることになったのですが、
入信から除名処分に至るまでの経緯の概要を簡単にお知らせ致します。

 私は元来、「パチンコもジェット機も知らなかった古代人ならともかく、この科学の時代に生きながら宗教なんか信じる奴は精神病の親戚みたいなもんだ。」と考えており、当然のことながら、正月の神社参拝とか合格祈願などバカバカしいにも程があると思っていました。
 ただ、35歳で神慈秀明会に入信するまでのいささか波乱に満ちた半生の中で、
「人間の善意こそが、最も尊ばれる価値観ではなかろうか。」と考えるようになり、
一方、ケースワーカーを勤めていたとき、病苦や貧困の実態に身近に接して心を痛めたことが、
後になって神慈秀明会に見事に洗脳される下地になったものと思われます。

 何しろ、神慈秀明会は「人の幸せを祈ることの大切さ」を説き、
一方、絶対の神力の持ち主である明主によれば難病も治ることになっているのですからね。

 さて、私は、昭和49年10月20日、石油業界では「その人あり」と知られたある実業家の娘に当たる信者(当時、世話人もしくは助教師)に
「××さん、世の中には頭で考えて解ることと、やってみて初めて解ることがあるのですよ。私達のやっているのは、その後の方のことなのですよ。」とか
自分のことしか考えられないような人達が段々増えていく社会をこのまま放っておいてよいだろうか、
ということからも私達は立ち上がったのです」などの実に熱のこもった2~3時間にも及ぶ説得を受け、東京支部で入信しました。

 入信後、教団側の言う「絶対の救い主たる明主様なればこそ起こせる奇蹟、奇瑞」を体験し、
「世界人類滅亡の危機が迫っている。それを救うには神慈秀明会の明主様信仰しかない」という教義を信じるに至り、
教団側のどんな無理難題に対しても反発せず、指示を受ければ命がけと言っていい程の奉仕さえ厭わない信者になりました。

 たとえば、昭和50年の国鉄のストライキのときは、役付信者達の輸送のため、ある晩、本部(京都)を出発して徹夜で車を運転して東京支部に着き、そのまま職場に出勤して夕方まで仕事をした後、そのまま東京支部に参拝して、再び本部に向けて徹夜で車を走らせたこともありました。
二晩とも、自分一人だけの運転です。

 もっとも、入信1年目のこの「連続二晩徹夜運転」など、その後の7年に比べれば未だ楽な方でした。
即ち、男子部副責任者や世話人等の役を、時には重複して押し付けられ、責任を厳しく追及されたその後の7年間は正に信仰地獄でした。

 休日は早朝から、そうでない日は仕事が終わるとすぐ東京支部に駆けつけて宗教活動に従事するのですが、
どんなに一生懸命頑張っても途方もない数の「お導き(勧誘)」ノルマや、莫大な額の献金達成は難しく、
しばしばT×元東京支部長の指導を戴くことになるのですが、
「指導」とは要するに、怒鳴られ、満座の中で立たされ、あるいは長時間正座させられるというようなことです。

 しかも、「指導」は大抵深夜の12時頃行われ、月に2~3回は未明まで続くこともありました。
当然、フラフラの状態で出勤することになります。
 加えて、親が危篤でも出勤しなければならないような大事な日に、宗教行事のために職場を休むこともあり、当然軋轢が生じます。

 H×元東京支部長が、私を叱責ないし罵倒するときの常套手段は「お役所仕事やないんやで!」とか「役所の仕事をやっとるつもりか!」というようなものでしたが、
役所というのは、少なくとも東京都庁という所は、世間の人が想像するほど甘くはありません。
 有給休暇と生理休暇の組み合わせで余りにも身勝手な休み方をしていたために、結局退職させられた女性職員の例や、
法学部出身でバランスシートの見方が分からないのに、その能力が必要なポストに配点されることになり、52歳で自ら辞職せざるを得なかった係長の例もあります。

 当然、私の勤務状態も職場で問題となり、一般職員からは「あれでも係長か!」という声が挙がり、
上司から「公務員としての良心があるなら、宗教を取るか仕事を取るか選ぶよう」迫られたことも一度や二度ではありませんでした。
 正に、職場は針のムシロでした。
 もっとも、「教団内にあっては信仰地獄、世間では針のムシロ」を味わっていたのは私一人ではなく、
「本当に大切に思っている人には、とても入信は勧められない」と思わず本音をもらす世話人もいました、
それでも、教修第2講を終えた未信者が入信を渋れば、「あなたの幸せを思えばこそ、こうして熱心に(入信を)お勧めしているんですよ」と猫なで声を出さなければならないのが世話人の立場なのです。

 通常の神経の持主なら、このような建て前と嘘が充満する教団に身を置くことを耐え難く思わずにはいられないのですが、
実際には誰もそれほど気にはしていなかったようです。
というのは、毎日毎日H×元東京支部長や宗務委員や教団教師から厳しく責めつけられているので、
そういう感覚はかなり鈍ってしまったようです。

 かく申す私も、実はそれどころではありませんでした。
 というのは、私の場合は、
酷いときには月に6回も東京・本部間を往復させられる活動費や
神苑献金(1,500万円)、東京支部建設献金(300万円)、その他の諸々の拠出金
のため、
2,000万円もの借金ができてしまい、
自己破産寸前という状態だったのです。
 もしそうなれば、懲戒免職とまではいきませんが、論旨免職は覚悟しなければなりません。

 それでも尚、教団側の金銭的要求は緩むことはありませんでした。
 昭和57年12月のことですが、H×元東京支部長に対するお歳暮か何かの奉仕金の一部が未納になっていることを責める電話が
教団教師から職場にかかってきて、厳しく催促されました。
 耳をそばだてている周りの気配に冷汗の出る思いで「申し訳ないけど、今、仕事中ですから・・・」と言って電話を切ると、
すぐまた電話がかかってきて「話は未だ終わっていないでしょう! 一体、いつ納めるつもりですか!!」と語気鋭く迫られる始末です。
 仕事が終わればただの一日も休むことなく私が東京支部に駆けつけているのは、その教団教師も知っているのです。
 それなのに、わざわざ職場に電話をかけてくるというのは、
もはや「催促」ではなく「恐喝」
と言うほかありません。

 しかし、「恐喝」にしろ「催促」にしろ、これに応じる手立てはもはや私にはありませんでした。
そして、助教師として活動するための活動費を捻出する力もありませんでした。
 それでは、どうしたら良いか・・・。
 知れたことです。一般信者になることです。
 しかし、まともに交渉したのでは助教師を降りることなど認められるわけがありません。
 もし、そんなことを認めたら、我も我もと助教師が一般信者になるケースが続出するのは火を見るよりも明らかです。

 そこで私は、翌年(昭和58年)1月3日の東京支部助教師会(そこでは、1年間のお導き数や献金等について種々のノルマが課せられ、必ず果たす旨約束させられます。)を欠席し、
一般信者になる決意を表明しました。

 ところがその後は、東京支部に参拝に行くと、M×S×教団教師から「ここは、君のような者の来るところではない!」と怒鳴りつけられて追い出されたり、
K×K×教団教師から、東京支部長命令として、支部内への立入り禁止を告げられたりして、
言わば事実上の除名処分を受けたわけです。

 私は、入信以来8年間にわたって拠出した数千万円の金員のうち、
信者としてそこに立入れるという前提で拠出した神苑建設献金1,500万円と東京支部建設献金300万円は、
その前提が無くなってしまったのだから返還されるべきものと考えて、
昭和61年、神慈秀明会に対して不当利得による返還請求の訴訟を起こしました。

 ところが、証人として出廷したM×S×教団教師の
「神苑建設献金は、信者ひとりひとりが年頭に献金額を自ら申し出て、それを集計したものが各支部の献金目標額となる。教団本部から各支部に割り当てるというようなことはしていない。」
と言った類の嘘の証言が裁判所で認められ、教団側の主張が通り、私の全面敗訴となりました。

 ちなみに、法廷で嘘の証言をすることは犯罪で、10年以下の懲役刑が定められています(刑法第169条)。

 まだまだ大事なことが色々とあるのですが、いずれ集会でも開いてそのときお話しするつもりです。 


 原告の東京支部元助教師は、神慈秀明会独自の"桃の実献金(1口100万円)"の発案者です。
 桃の実献金は彼の発案により、昭和54年(1979年)3月に誕生しました。
 その経緯が本人から証言されています。
 神慈秀明会被害ネットワークHP>過去の裁判情報>原告からの投稿2

1979年発案 桃の実献金の誕生≪発案者本人からの証言≫

 “桃の実献金”が大分問題になっているようなので、
 その発案者として此れの由来について述べておきたいと思います。それは、次のようなことです。

 昭和54年3月、ほぼ完成していた新東京支部の赤いじゅうたんの上で、
 支部長以下主だった信者が、
 ある重要な案件について相談していました。

 実は、毎年4月8日は東京支部の創立記念日で、東京信徒大会を開くのだが、
 勿体なくも毎年会長先生がお見えくださる―――。
 ただお迎えするというのでは申し訳ないので、
 新年から4月8日迄のお導き数の目標を定めて、その目標の達成をもって、
 わざわざお越しくださる会長先生に対する謝意の表明としているのだが、
 今まで一度たりとも達成できたことがない―――。
 今年も「*百名」という目標を掲げた迄は良かったが、
 今日迄で僅か**名では、来月8日迄に達成するのはもはや不可能―――。
 従って、今年はそういう目標は無かったことにしようか、どうしようか、という相談でした。

 そのとき私が提案したのが、
 「百はモモと読むのだから、黄泉平坂の故事に因んで100万円の献金を“桃の実献金”と称して、
 これを100個積み上げて、その成果を、わざわざおいで下さる会長先生に喜んで戴く、ということにしてはどうか。」というものでした。

 最初は誰一人賛成しませんでした。
 「そんな物凄いことが出来るわけがない。気は確かか?」とまで言う者もいました。
 何しろ、桃の実献金100個と言えば1億です。
 しかし、他に何か会長先生に喜んで貰えるような目標を設定できるか、というと何も思いつくことができません。
 結局、「やれるもんならやって見なはれ。但し、責任はあんたやで。」という支部長の鶴のひと声で決定しました。

 それで私は、白、緑、青、ピンクの布地を買って来て、洋裁の得意な世話人に頼んで3着の陣羽織を作って貰い、左右の胸と背中にピンクの桃を縫い付けました。
 私や私の配下の男子部信者等がそれを着用して、
 最近入信して未だ経済的に余裕のある信者をターゲットにして明るく呼びかけるというやり方で献金を募りました。
 つまり、十分に洗脳済みの、しかし、既に多額の献金をしていて経済的に疲弊している信者を責めつける、という方法を改めたわけです。

 これは成功しました。
 何となく「やろうじゃないか!」というムードが盛り上がって、
 いつものような教団教師の叱責や困り果てた信者の涙などもないまま、
 期限ギリギリではありましたが、“桃の実献金”100個が積み上がりました。
 勿論、会長先生も大変喜んで下さいました。

 以上が“桃の実献金”誕生の由来です。
 要するに私は、信者を責めたり追いつめたりする全ての御神業の形を改めたかったのです。
 そして、この時点ではそれが成功したのです。

 しかし、結局“桃の実献金”はその後、
 信者を苦しめる方向で運用されて行くことに
なった・・・。
 それを考えると暗澹とした気持ちになります。
 私は、信者各位に対して悪いことをしてしまったのでしょうか?


 ”桃の実献金”は明主様ではなく小山荘吉に喜んでもらうために発案されたものでした。
 昭和54年(1979年)頃はまだ、お導きの目標達成は所属の自主目標だったことがうかがえます。
 しかし、この頃にはすでに東京支部長以下教団教師が叱責し、多額の献金をさせ経済的に信者を疲弊させています。
 会主会長が喜ぶ高い(過大な)目標達成を掲げなければならなかったことがうかがえます。
 この御神業の形を改めたかった助教師の発案により誕生したのが”桃の実献金”でした。

 1億円が短期間に集まったことに喜んだ小山荘吉が会主に報告した結果、
 結局“桃の実献金”はその後、全国の信者を苦しめる方向で運用されて行くことになりました。
 発案者の助教師もその後多額の献金に疲弊し、一般信者になろうとしたところ、支部長に逆らったことにより支部内への立入り禁止を告げられ、事実上の除名処分を受けたことにより裁判を起こしました。

 教祖の岡田茂吉は「信仰の合理性と再浄化」(聖教書P389)で、
 ”そうして感謝の誠を捧げる場合、仮に金銭にしても、多い少ないは問わない。分相応の最大限度であればいいのである。神様は何もかも御存知だから、無理をせずとも御許しになると説いていました。
 そう明主様は”何もかもご存知”のはずです。

 それなのに明主様は、信者を追いつめ無理をさせる会主会長教師たちに”お気づき”を与えることなく許し、追いつめられ無理をし経済的に疲弊している信者を許しませんでした。
 明主様が守ったのは、信者に無理をさせる会主会長教師たちでした。

 ”桃の実献金”の発案は、”黄泉平坂の故事に因んで”されました。
 ”黄泉平坂の故事”を明主様の教えに結びつけた講話を、会主が昭和56年(1981年)にしています。
 ”桃の実献金”誕生の2年後です。
 そして会主のお墨付きをもらった”桃の実献金”が全国に拡がりました。
 明主様も”桃に関する奇跡”を起こして応えました。
 そのことを、岡田茂吉を教祖とする明主様信仰団体の信者の交流掲示板である「明主様一つの波紋3」に、秀明信者でありながら、会には内緒で”世界救世教いづのめ教団”、”新健康協会”の信者でもある"一番さん"が投稿しています。

”黄泉平坂の故事”を明主様の教えに結びつけた会主の講話
その後の秀明会の桃(百)にちなんだ活動の様子
   

 明主様教団を色々とお尋ねしましたが、桃を教団の柱にして実践するところは神慈秀明会だけですね。  
 私が入信した 昭和56年5月頃、4月から桃の記事が秀明紙に載ってますね。  
 秀明紙 昭和56年4月10日発行 第133号

 

 〘教祖言〙  
 『三千年目に聖王母の園に桃の実が1つなり、その実は転輪菩薩で、それが世を救うと伝えられていますが、その転輪菩薩が観音様であります。』

 お詠『聖王母育(はぐくみ)ませし桃の実は、聖(しよう)観音の生身霊(いくみたま)なるも』

 復活祭 お言葉  
 ❲桃、三話〙(会主)  
 「明主様信仰の道は開けに開けて・・」  
 復活祭おめでとうございます。先ほど会長がご神前で祝詞を奏上をさせていただきましたが、一言一言感無量の思いでございました。

 次に祝詞とご讃歌に移りましたが、例年のことながら胸の高鳴りは止めようもなく、じっと立っているのが精一杯でございました。

 顧みますと45年3月1日、熱海へ離脱の通告を出し  
 当時のここの 月次祭は3月3日で、私はそのみ祭りにのぞみ、ただならなる 緊張の中にいつものように順番に上げさせていただくページをめくりますと、  
 ちょうど今のお詠にあたりました。月次祭と申せば 月間行事の中でも一番大切なみ祭りですですから、  
 明主様の御言霊は魂に突き刺すように鋭く応え、また暖かく包み込みお励みを頂いて尊さ かたじけなさに感謝の涙を止めようにもございませんでした。  
 それに先立ちまして 1日に 助教師 当時の助師、それから2日に世話人を集めて 離脱もやむなきに至った道すがらを、時間をかけて説明しました。  
 質問にも答えたのですが、あまりに突然であり予期しなかった事柄だったので、皆さんがしっかり受け止めていただけたとは申せないようでした。

 熱海側は 人々の心の波立ちや 戸惑いをついて、まず第一に 他の教会長と姻戚関係にあった支部長やその家族を手なずけ、  
 次に 機関紙によく記事を頼んできた信者を籠絡(ろうらく)しました。  
 そして 幹部や会長たちが、入れ替わり立ち替わりその支部に乗り込んで占拠しました。  
 東京に話し方教室というのがあり、そこで話術を学んできたものを起用して、専任の京都教会長に任命し、その上教主も担ぎ出し 今までしたこともない愛想を振りまかせ、己を正当化しようと それこそおぞましい攻撃をかけてきました。

 ことの成り行きを冷静に見れば、誰しもおかしいなと気づくことばかりなのに、  
 悪人の常套手段である自分の都合の悪いことを うまくすり替えてしまって、  
 判断の目を狂わせ、私と会長も明主様に弓を引く大逆人に仕立て上げる始末。

 その上 正しい観点からではなく 自分たちの都合で強引に教主を象徴に祭りあげておきながら、それをおくびにも出さず こちらに向かっては大恩ある教主に背いたけしからん奴と、口はば たくて言えないようなことを、どんどん吹き込みました。

 その上 人それぞれに甘い餌を目の前にちらつかせて、おびき寄せるなどあくどい切り崩しを、しつこく繰り返しました。  
 御教えさえしっかり腹に入っていれば、その愚かさは 見え透いているのですが、  
 ともかく 両方の話を聞かなければわからないのではありませんかと、言われればそれもそうだなと思って彼らの誘い手に乗ったものはほとんど、  
 罠にかかって落ちていきました。  
 また一方では役人に働きかけて 離脱を認めさせないようにし 、この本部を乗っ取ろうと強引な策を弄し、柔剛ない交えての修羅場でございました。

 しかし彼らの拠り頼んだ錦の御旗には、もう御神霊は在さず、当日のお歌 88ページのお示しの通り、8の字は開くの意、末広がりを意味するように、明主様信仰への道は開けに開けていたのでございます。  
 なんと尊い明主様のご神示でございましょう。

 (中略)  
 〘玉と桃をくださった〙  
 話は変わりますが、3月には毎年御神前に桃の花を入れております。  
 ちょうど時候柄でもあり、また 桃の節句 と申すように 3月3日のひな祭りには 草餅、菱餅や白酒とともに、桃は昔から欠かせない花でございます。  
 ここで 教祖祭に引き続いて桃3話とでも申しましょうか、前にも申しましたが明主様は、  
 『昔から 5節句やお伽話、謡曲、常盤津、長唄などに謎や神秘が秘められてある。  
 それは皆神様が今度のことを準備されたのであります。』  
 とおっしゃり ひな祭りについて、  
 『桃の花祝ふ3月3日のいわれ、世人と覚えらむ時近みけり』  
 『女子のたのしき雛の み祭りにも、大いなる謎秘められありぬ』  
 のお歌をお残しになりました。3月3日は離脱を信者につげる意義深い月次祭でございました。

 黄泉比良坂の戦いに、桃の実を投げて邪神軍を撃退された古事にありますように、  
 昔から桃は悪魔を払い 不浄を浄める花、めでたい花とされていて、宮中の古式な行事にも取り入れられると聞いています。  
 梅の花のように 凛とした気高さはなくても、いかにも春らしい 暖かさを感じます。  
 まだ素朴な気取らぬ初々しさがあり、どこか野暮ったさはありますが、若さが溢れている感じです。  
 娘さんの日本髪にも桃われというのがありますが、桃の花を見るとすぐそれを連想いたします。

 次に”桃源郷“という言葉を知っておられましょうが、 俗世間を離れた別天地、いわゆる仙郷を指すのですが、  
 私どもは現実にはこの世に住んで、浮世もしがらみに揉まれ、しごかれて色々な苦しみはありましても、魂は  
 明主様に繋がらせていただいているのですから、明主様を信じまいらせて、心はいつも 桃源郷にあって 春日のうららかさを持っていたいと思います。

 また今日は 新教師の誕生、分けて初の外人教師が生まれました おめでとうございます。  
 続いて 助教師や講師の方々の資格の 拝命もございます。”桃門に満つ”という言葉があります。  
 これは優れた人材が門下に満ちるという意味ですが、  
 明主様信仰の優秀な使徒として、今後しっかり活躍してもらいたいし、また皆さん方の中からも続々と輩出して欲しいと願います。

 *終わりに 桃にちなんで とても嬉しい報告がございます。  
 その前にこの絵をお目にかけます。これは何でしょう。  
 (桃が描かれた瓦2種と、如意宝珠が描かれた瓦の絵)、  
 そうです 瓦です。 実は前から日本の古い建物の中で良いものが見つかれば是非欲しいと願っておりましたが、図らずも 手に入りましたので 解体しましたら、こういう 瓦が見つかりました。

 この瓦の模様は何でしょう。そう玉です。如意宝珠、麻邇(まに)の玉でございます。  
 瓦に宝珠の絵柄があるのです。もう一つの絵柄 これは桃です。

 *玉と桃を明主様がくださったのです。

 なんと 嬉しいことでしょう  
 私は特別な教養とてなくただ精一杯 何にでもお役に立たせていただきたいの 一 心だけで動いているのですが  
 明主様が全てに渡って上から 段取りをつけてくださって、このようにお恵みをいただけるのですね。  
 如意宝珠と桃、  
 もうこれ以上申すことはございません。ありがたくもったいない次第でございます。  
 今はただ ご報恩あるのみでございます。」


 ここが始まりですね。  
 ここから 桃に関する奇跡が起こり始めましたね。  
 布教に出たら雨粒が桃の形をしていたとか他、  
 ここから桃は百だから、桃の実献金が発生したんでしょうね。  
 桃(百分)の拝読、桃(百人)のお救い、桃の浄霊、今でも支部には桃のシールを貼ってますね。

 (私の拠点では1年かけて1人で100名導いた青年がいました)1つ1つ 自分たちの目標が達成したら、そのシールを貼っていきますね  
 これは他の教団にはありませんね。  
 明主様一つの波紋3 神慈秀明会と桃- 一番2025/12/30より  
 


 "一番さん"は古い秀明(秀勉)信者です。
 そういう信者が、会主の”桃3話”の講話をきっかけに、
 ”ここから桃は百だから、桃の実献金が発生した”と証言しています。
 ”桃(百分)の拝読、桃(百人)のお救い、桃の浄霊、”と”桃(百万円)の献金”が、ここから始まったと。

 当時の多くの信者が"一番さん"同様に受け取ったのでしょう。
 ”会主の講話”から、”桃(百万円)の実献金”が全国で推奨されるようになりました。

 しかし、元信者が平成14年(2002年)3月8日着の内容証明郵便にて神慈秀明会に対し詐欺に基づく献金の返還請求を行ったが、神慈秀明会が返還に応じなかったので行われた調停では、
 神慈秀明会は、”本部としては、このような献金を特別に設けた事実はない”と弁明していました。
 原告側が、本部行事で繰り返し、”信者に百(桃)の実献金(100万献金)をするよう促している”と反論しているように、
 この裁判で”神慈秀明会が違法行為”と最高裁で認められた2009年の後でも最近でも、”桃の実献金で頂いた感謝報告”は秀明紙で当たり前のように何度も取り上げられています。
 新興宗教から守ろう 「神慈秀明会は違法」最高裁判決
 神慈秀明会被害ネットワークHP>裁判情報>秀明会の言い分(調停)
 明主様一つの波紋3 先祖は、病気災難等を起こしてまで、私たちに徳を積むよう訴えてくる - 神慈秀明会 新聞2025/12/23より

 (話しがそれますが、この会主の離脱の講話には虚言が含まれています。
 ネットではすでにあかされています。
 ”離脱の神意”の項目で今後紹介させて頂きます。)

 2003年に調停での弁明で桃の実献金を、”本部としては、このような献金を特別に設けた事実はない”と否定した神慈秀明会ですが、
 2006年に起きた横浜東戸塚の拠点建設反対運動では住民説明会で、
 国際布教センター名誉顧問は「桃の種・実・木献金は存在しない。ネットで流布されているだけ。」と言い切っています。

 この国際布教センター名誉顧問は、「桃の実献金誕生の瞬間」に立ち会っていたはずという証言もあります。
 家族を新興宗教から守ろう>集会所建設反対掲示板過去ログ>そもそも桃の実献金は東京支部から生まれた 投稿者:いつもの通りすがり 投稿日:2006/07/20
 2006年 横浜市東戸塚上品濃地区≪桃の実献金は存在しない!?≫

 高額献金である”桃の実献金”が非常識なもので、会主による講話が外部には通じないという認識があるのでしょう。

 ”嘘つきは泥棒の始まり”とはよくいったものです。

 桃の実献金は発案者の、
 ”信者を責めたり追いつめたりする全ての御神業の形を改めたかった”
 という思いとは正反対に、教祖殿建設のために
 ”信者を苦しめる方向で運用されて”いきました。

 とある関西の元青年信者(ルビーバチュラー)がブログに、教祖殿・神苑建設献金がどのようにして集められたのかを証言しています。
 アメーバブログ パラミタ、発動す>哀しい神慈秀明会>7.宗教組織運営の実態

 <次回予告>
 「子どもが騙されている」と警察沙汰はよくあり、裁判もありました!?

前のページに戻る