公開日2025/06/15
 このページでは神慈秀明会に違和感や疑問をもっている方に、ネットではすでに明らかにされている、神慈秀明会が信者にかくしているウソ・いつわりを紹介していきます。
 明主様や神慈秀明会を信じている方が会の欺瞞を知ることはショックかもしれません。
 けれども信者が明主様とのお約束である目標達成をめざすために、
 相手の気持ちや事情を考えない姿勢や、
 神様第一で他をないがしろにすることに、
 違和感や疑問をもてるということは、
 まだ人としての良心を失ってはいないということです。
 その良心を大切にしてほしいです。
 会の欺瞞を許し、信者が良心を失う目標達成(誠)を喜ぶ神様はまともではありません。
 神慈秀明会は1970年に世界救世教から離脱しました。
 明主様信仰の本筋を歩んでいる唯一の教会として、創業の神心を喪失した教団から明主様の神意で離脱独立したとしています。
 神慈秀明会がそうであるならば、これほどまでにネットでカルトとして叩かれることはないはずです。
  なぜ被害者が存在しているのか、
  なぜ拠点建設反対運動が各地で起きたのか、
 それは、神慈秀明会がウソで塗り固めた誠意のない組織だからです。
 神慈秀明会が発展し会のウソが世間にまかり通るということは教祖岡田茂吉が唱えた、隠し事ができない澄み切った”水晶世界”はこないということを神慈秀明会が証明しているということです。
 ”美しいもの”で”臭いものに蓋”をしているのが神慈秀明会です。
 真実を知ったショックを乗り越え神慈秀明会への違和感や疑問がとけ、自分のこれからの人生を主体的に生きるきっかけになれば幸いです。
 会に違和感や疑問をもっていない方も、神慈秀明会の矛盾に気づくきっかけになれば幸いです。
 オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる前に起きた宗教施設建設反対運動があります。
 住民が布教されるおそれのない平穏な生活を送る権利を求め、建設中止に追い込んだ闘争の記録は『護られた街―実録 カルトは防げる』という本にもなっています。
 家族を新興宗教から守ろう>参考図書>護られた街
 1994年(平成6年)に松本市でサリン事件が起きました。
 翌年に東京で地下鉄サリン事件が起きました。
 どちらもオウム真理教の起こした事件だということがわかり、新興宗教団体に向けられる世間の目が厳しくなりました。
 サリン事件が起きる前の世間の目がまだ厳しくなかった頃に、長野県松本市で神慈秀明会が拠点建設を行おうとしていました。
 1995年前後といえば、神慈秀明会が自己放棄体制をしき、駅前や戸別訪問で、
 「あなたの健康と幸せをお祈りさせてください」と声をかけまくっていた時期です。
 多くの青年が仕事を辞め、学生が学業を放棄し、拠点で寝泊まりをして実践(布教)活動を行う合宿をしていました。
 多くの主婦も家事育児を放棄して実践(布教)活動をしていました。
 借金献金も推奨されていました。
 自主的に活動・献金を行っている信者もいましたが、相手の意思を尊重しない活動・献金への強引な”おすすめ”も横行していました。
 お救い目標達成というノルマのために、強引な入信勧誘行為も横行していました。
 自分達の街に宗教施設が建設されるという突然の事態が起き、不安から住民自ら宗教団体の問題を学習する活動が行われました。
 そして反対の意志が町内全体にひろがりました。
 布教されるおそれのない平穏な生活を送る権利(非宗教的人格権)を求め、激しい反対運動が起こりました。
 反対運動は結実し、建設は阻止されました。
 1996年末に神慈秀明会はそれまでの活動方針を撤回し新体制になりました。
 それは松本市で住民による激しい反対運動が起きたからではなく、
 1997年にMIHOミュージアムを開館するにあたり、初代館長予定だった大物著名人である梅原猛氏の耳に、「信者に借金献金をすすめている」ことが入ったからです。
 「信者に借金してまでの献金をすすめる宗教は邪教だ」と怒った氏から館長を辞退すると言われ、あっさり体制をかえました。
 しかし旧体制の反省は行われず、献金のために多額の借金を背負った信者や自己放棄体制で活動していた信者を切り捨てました。
 とはいえ、多くの信者は布教活動を強要されなくなったことを喜び、旧体制を経綸として受け入れていました。
 青年ルビーだった私は地区長(所属全体の中高生を担当)の重責に堪えかね曇り(退会はしないで会から距離をおくこと)、1995年に一般信者になっていました。
 新体制になってから信者と結婚し、新たに始まった次世代教育の方針で子育てができることを喜んでいました。
 神慈秀明会が教祖岡田茂吉の理念を実践している団体ならば、松本市で反対運動が起きたときに自己放棄体制を見直すべきでした。
 1996年末に新体制になっても、これまでに被害を受けた人への対応が省みられないなか、被害者の声がネットで発信されるようになっていきました。
 そして神慈秀明会被害ネットワークHP(2003年版アーカイブ)というサイトが登場しました。
 同じころ「家族を新興宗教から守ろう」(2004年版アーカイブ)という神慈秀明会批判サイトも登場しました。
 ネットを活用した拠点建設反対運動が起きます。
 家族を新興宗教から守ろう>青葉区での集会所建設
 2005年(平成17年)に横浜市青葉区に拠点建設反対運動が起きました。
 きっかけは、神慈秀明会より集会所建設の挨拶状を受け取った住民が、「神慈秀明会」という団体がどのような団体かがよく分からないため、これをどう判断していいのか戸惑っていました。
 相談を受けた住民の一人がインターネットで「神慈秀明会」を検索してみました。
 神慈秀明会に関するたくさんの情報がヒットし、次々とその内容を見て行くと大半の情報は神慈秀明会に対する批判的内容であふれかえっており、「カルト」等の言葉が多々使われていました。「カルト」という言葉から直感的に「オウム真理教」(現アーレフ)が連想されました。
 危機感をもった住民からメールをもらった「家族を新興宗教から守ろう」の主宰者であるfujiya氏は、
 インターネットの特性を生かして、集会所建設問題だけに特化した掲示板があれば住民や支援者が自由に情報交換、意見交換ができると考え、
 サイト上に「神慈秀明会・集会所建設反対掲示板」を立ち上げました。
 その掲示板によせられた青葉区住民からの投稿です。
***
 [177]我々の行動基準
 横浜市青葉区住民
 2005/12/26 20:45
 神慈秀明会が近隣に集会所を建設すると言う挨拶があってから今日まで、我々は事実・本質を追及・見極めながら行動することに意を注いできました。
 誰が言ってるから正しいと先入観を持つことなく、常に何が正しいのかを見つめてきました。
 組織である場合己を広報するとき、「理念」と言うのが表にあり、実際の活動(即ちこれがその組織の本業)がその通りに行われておれば問題は起きません。
 我々はネット上の多くのサイトや書籍を通して神慈秀明会の本質や理念の裏で行っている本業である宗教活動の実態を知ることが出来、住民上げての「進出反対運動」を展開してきました。
 (以下略)
***
 インターネットを通してこの戦いを見守っていた人も非常に多く、当該ページへのアクセス数は急速に増加しました。
 日本国内はもとより、海外からのアクセスが非常に増加しているのが特徴で、
 海外に活路を見いだそうとしている神慈秀明会にとって、海外からこうした問題で注目されるのは辛いことであったと思われます。
 多くの住民が関心をもち情報を共有し反対の意思を固めた反対運動は実を結び、神慈秀明会は建設を断念しました。
 しかし神慈秀明会は、建設断念は「家族を新興宗教から守ろう」の主宰者が住民達を煽り、反対運動を激化させたためであり、
 そのために秀明会は大変な攻撃を住民から受ける結果となったとし、
 主宰者のfujiya氏の態度に問題があるように信者に伝えられていました。
 住民の反対にあい、建設を断念した神慈秀明会でしたが、
 10年前の松本市での反対運動同様に、自らの誤りには一切目をくれることはありませんでした。
 断念したわずか5カ月後に、横浜市の東戸塚上品濃地区での集会所建設計画を実行に移しました。
 家族を新興宗教から守ろう>東戸塚での集会所建設
 <次回予告>
 ”住民説明会で国際布教センター名誉顧問は「桃の種・実・木献金は存在しない。ネットで流布されているだけ。」と言い切りました。”ってどういうこと!?
 次回以降公開予定